タニオカアイ

ウソとホントの間の話

保留にしておくという選択

固執するように思い悩んでしまうとき、悩むほどの時間がとれないくらい忙しく他のことをせざるを得ないよう「環境を変える」という提案があって、それはたしかになあと納得しつつ、別の方向から脱線してみる。

多元宇宙があるなら、相反したり近似だったりな選択肢も採用されているわけだから、あっちはあっち・こっちはこっちで何とかやってると考えて、だから今ここで選んだことも、あくまでたくさんの自分のバージョン違いってことでそこまで追究することもないのかもしれない。

あっちはあっち・こっちはこっちといえば、旧「ドラえもんのび太の魔界大冒険」では、中盤もしもボックスで魔法のない世界に移行しようとするドラえもんドラミちゃんに対して、のび太はこの世界の責任を全うしたいとパラレルワールドへ移行することを拒むエピソードがあって、映画のび太は高下駄。

そんなことをふわふわと浮かべていたら、下田治美「愛を乞うひと」を思い出した。

過去の日記を繰ると、下田治美についてはまず、

 下田治美『ぼくんち熱血母主家庭』読み中。子供が産まれる前に離婚した著者の、子供の成長を追う形で書かれたエッセイ。小学校の好きな本ランキングで『その他』に入れられた忘れ難い一冊なので久しぶりに。『愛を乞うひと』の著者だけどそっちはドロドロそうなのでパス。

と書いていた。ちなみに好きな本ランキングは棒グラフを習ったころのアンケートで、その他1ならタイトルを書くのが妥当ではないかと思いつつ、母子家庭本なので教師的にはその他カウントが妥当だったのかもしれない。で、この二年後に「愛を乞うひと」を読んだらしい。

 母に虐待されて育った娘が、優しかった父の遺骨を探す旅。

 映画の宣伝なんかで少し誤解していて、ずっと読もうかどうしようか迷っていたのだけど、寝る前の本としてふと手を伸ばしたら……午前五時。

 暴力描写や理解の範疇を超えた性格の悪い人の出てくる話はやっぱり苦手だったけれど、

 暴力と恐怖でわたしを支配し、虐待した人間の心情など、理解しなくてよいのだと、やっと気がついたのです。わかってやらなくてよいのです。

の行で、なにか納得した。のだけれど、生身の人間はそうはいかないのだろうか。

 読んだ本の装丁は、映画の写真ではなくて血判の薔薇。

★★☆☆☆

このころ、明確なものではないけれど「正しい大人」になりたかった。それには「許す」ことができなければならないのだと思っていたから、許し難いと感じてしまったとき、罪悪感のような矮小感のような、未熟で大人になりきれていない事実も嫌だった。

「許す」だけが全部じゃないんだというのは発見で、そうしたら問題にとらわれる部分も自然と減っていった気がする。

パラレルワールド的にいえば許さない平行世界もあったのかもしれない。

道に迷ったとき、成した世界や成さなかった世界があって、成すことも成さないことも成しているのかもしれない。

このごろは、相手の感情は相手のものだとか、今後の人生に影響ないないとか、なんにせよ死ぬときは一人だとか、そんなことも思ってみたりする。

高齢とされる人が「日にち薬だからね」と穏やかに話されるのは、時間というものを自分より体感しているからだろうか。

とくに前も後ろも向いていなくて、ただ新規作成した保留フォルダに追加するファイルだと分類してみる。

愛を乞うひと (角川文庫)

愛を乞うひと (角川文庫)