タニオカアイ

ウソとホントの間の話

村上龍「イビサ」

黒沢真知子はOLのかたわら不倫や売春もする25歳。幻覚・幻聴にみまわれ一年間入院後、パリへ発つことにする。人身売買の男から逃れ、白人貴族の女を連れに、麻薬と淫蕩にまみれながらの旅。やがて真知子は地中海の小島、イビサへ向かう。

日本以外に希望をもつ人々を描いた「空港にて」より前に書かれ、時間を凝縮するテクニックとして成立する手前、「限りなく透明に近いブルー」の宮殿のエピソードに近い雰囲気。「空港にて」とは反対の破滅の物語。

幻覚は本人にとって現実感があるといわれており、カフェのウェイターと同じ名前をつけた彼が登場した時点で再発している。寛解後のフォローはなかったのか。もしかしたらベッド上の妄想かもしれない。

精神疾患を進化のひとつとしてとらえる話はたまにあるのでそれでだろうか。超能力的なものの取り扱いには相応のモラルが必要だとは岬一郎の弁。ファンタジー、なくていいんだけどなあ。

階級とマゾヒシズムについて引用。するつもりだったけどどこに書いてあったか。

破滅願望は抑圧の象徴になることで満たされる。

エピローグは「ヘルタースケルター」連想。マダムでもドラァグクイーンでもなく、かといって道化師というわけでもない。何かからは自由になっているのかもしれない。

ところでスナッフ目的の四肢切断ならチェーンソーに止血剤でもいいけれど、達磨目的ならもう少し丁寧にしないと使い物にならないのでは。西太后はどうしていたのだろうか。筋肉や大腿と上腕の骨頭部分(ここは切るのか抜くのか不明)や動静脈の処理も丁寧に描けば悪くないと思うのだけれど。

治癒過程や疼痛にも興味はなさそう。以前知り合いに褥瘡の経過を撮影・収集している人がいて、あれもなかなかの趣味だった。変化していく様は生物的。

似たモチーフでこのあたりを描いているのは松本清張わるいやつら」だったか。傷痍軍人で。とんで江戸川乱歩とか。両方男性。

終盤では日差しと麻薬でずいぶん乾燥してしまっているようだけれど東洋人の皮膚の滑らかさを讃えるなら、切断面としてではなく曲線の延長として仕上げたらきれいかもしれない。石膏像的な。

全体的には経費旅行でキメて神聖を語るあたり、らもかとばななかと。

イビサ (講談社文庫)

イビサ (講談社文庫)