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タニオカアイ

ウソとホントの間の話

困った人と表面でもなく深層でもない距離をとるのも難しいけれど

貧困、という言葉が流行になってしまう違和感については以前も少し書きましたが、じゃあ何ぞ、という説明もなかなか難しい。

脅すようだったり煽るようだったり、まるで地獄のように言われていることもありますが、どちらかというと地続きなんだよ、という感じです。

東洋経済オンラインに、鈴木大介「貧困報道」は問題だらけだという連載があります。

その中で、貧困に陥る人の共通点として3つの障害と3つの無縁について触れている記事があり、興味深い観点です。

3つの障害とは「知的障害発達障害精神障害」、しかも明確に症名が診断されるものではなく、むしろ見過ごされがちな「ボーダーライン上の障害」を抱えていること。一方で3つの無縁とは「家族との無縁、地域との無縁、制度との無援」。つまり、頼れる家族も力になってくれる友人もいなくて、そもそも面倒な申請を伴う公的扶助などに自力でたどり着き獲得する能力を失っている。3つの障害があれば3つの無縁にもつながり、こうした条件がいくつも重なって、人は貧乏ではなく貧困に陥るのだと、経験則的な結論を出した。

「ズルい生活保護者」には働けないワケがある | 「貧困報道」は問題だらけだ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

貧困ならば清貧たれというのは難しい話だというのがわかります。

個人として当事者に関わるのには限界があります。むしろ適度な距離を考慮した方がいいと考えています。それは差別するということではなく、関係が悪化して孤立しないために。

極端なところでは依存症患者と共依存の関係が長期間におよぶと、おおよそ健康的とはいえない結果になる、というのは知る人も多いのではないでしょうか。

かといって職業的に関わるにしても、単一ではなく複数でなければクリアにできないところがあります。一専門職にできることは知れています。

連携といっても浅く薄いものにしかならずその余裕もないのが実状でしょうか。既存の、または新規のシステム作成と改善が、局所ではなく広い分野でできることが望まれます。

人手も時間もお金もかかるけれど、底辺といわれる線を底上げすることは、資源という言い方をすれば短期的にはマイナスでも長期的にはマイナスが減ることによるプラスになるわけで。

ここで福祉とはなんぞやとか恤救規則がどうとかいう話ができればいいのでしょうが、それはまたの機会に。

今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」のニーズに合っているかは不明ですが、たくさんの波に混ざって、こんな潮もあるんだと伝われば幸いです。