タニオカアイ

ウソとホントの間の話

キューバにとって革命が存在意義なら人は

今は結論の出ない散文。

五分後の世界の終わりはハードボイルドアンダーグラウンド - タニオカアイを書いた後、「五分後の世界」内アンダーグラウンドのモデルはキューバらしいというところから、カストロ前議長の訃報があって、ニュースをみると喜んでいる人がいたりして、一体キューバってどんなところなんだろうと思って。

あくまでもフィクションという前提で、国としてのアンダーグラウンドの感想はこんな風に書いた。

アンダーグラウンドが軍事最優先の国家として合理性を追求した結果、技術開発による経済的自立と主体的な共産性質になっているのは興味深い。

アンダーグラウンドのような国家は個々人のモラルが成熟しないと国として成立しないので、賛否はともかくある意味では理想的とも言える。

一側面ではそうだよね、という。

できることを淡々と積み重ねていくことは大事だし、その行動は、理想を持って目標を立てた上で引き出される形式がいいのかなと思っていて。できてるかは別だけど。

で、個人っていうミクロだけでなくて、国とか世界とかいうマクロも一緒にみていった方がいいだろうな、っていうのはぼんやりと。これもほんとかなって感じだけど。把握しなくても生きるだけならできるから。学ぶことに一生懸命だった時期も、日々に一生懸命だった時期もある。頭だけの考えでいえばバランスよく両方採っていくことで人としてもうちょっとしっかりするかもね、くらいかな。

少し前にアメリカとキューバが国交回復したってニュースがあったけれど、その時はへえ、って程度で。バリエーションはあるけどざっくり自由主義・資本主義・社会主義共産主義で人の間の差を埋める感じ。キューバは植民地、独立、欧米化、革命の流れで、今は社会主義国と言われていると。

それから共産主義国は革命が存在意義だと聞いて、よくわからなくて。革命と存在意義について、チェ・ゲバラ単体ではそうだったのかもしれない、というのはわかる。それは個人の生き方だから。国は個人のそれとは違うんじゃないかな。でもそれが国の存在意義なのかな。

平等というビジョンを実現するために革命を起こして、実践したら不平等に馴染んでかつ平等に馴染めなかった人は離れていった。残ったのは土地と軍隊。

人の善を前提としているけれど、人は善だけではないし、善悪はポジションで違うから、楽観的なビジョンということなのかな。

今だってニュースに格差という言葉が頻繁に出てくるくらいだから決して平等とは言えないけれど、なんとか生活している自分もいて。じゃあこれは不平等に馴染んでいるということなのかな。

貧困という言葉がブームのように使われるのには違和感があって。一過性の消費コンテンツ扱いはなんか変で。そこに生涯を置いている人もいたりそれを利用する人もいたりの積み重ねじゃないのかな。で人口はだいたい菱形の分布になってる。

こんな単純なことではないけど。あと世界と国と人をミックスして考えてるからややこしくなってる。これからきっと世界的には自由主義になっていくんだろうな、という気はする。生かさず殺さず。マクロを管理する立場になればそうするよねっていう話が、いつのまにか自己責任とかセルフマネジメントとか、ミクロの問題にすり替わる不思議。

圧倒的多数の菱形のまん中にあたる人たちはどうしていた・どうしているのかな。これからどうしていくのがいいのかな。