タニオカアイ

ウソとホントの間の話

村上龍「限りなく透明に近いブルー」2/2

村上龍「限りなく透明に近いブルー」1/2 - タニオカアイ

鳥とパイナップルのパート。

自己であるパイナップルの腐った部分は潰された虫の集合体。現実である鳥に、何気なく何度も受けいれてもらえなかったという思いから、そんな現実を受けいれるのを拒否していることを表すために何気なく何度も虫を潰し続ける。

俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。

巨大な黒い鳥は今でも飛んでいて、僕は苦い草や丸い虫と一緒に胎内に閉じこめられている。小石と同じになったこの蛾のようにからだを硬く乾燥させてしまわない限り、鳥から逃れることは出来ない。

パイナップルの腐敗は確実に進行していつかは全てがドロドロになってしまう、自らが忌避する人間像になってしまうという恐怖。このまま現実を拒否し、追憶に浸って胎内回帰願望を実現するためには生物としての死しかない。現実を拒否し拒否され続けているというモラトリアムは、仲間たちが悟っているように許された期間でしかありえないのならばどこかで決着をつけるべきなのか。

そんな矮小な存在としての虫。「トパーズ」では女のすべての感覚を抑制し「おまえは虫だ」と責め続けるサディストによって言い聞かされる。現実から切り離された女はやがて虫であることを受けいれる。能動的な行為は女にとって義務であり権利でもあるが、虫になることでそれらから解放され尊厳は失われる。

感覚のない虫になることは擬似的な死でもある。

だからキリキリ痛みだすと何だか安心するね、自分に戻った感じでつらいけど、安心するんだ俺は。

痛みを得ることで虫ではないと感じることができる。また、痛みは個人的な経験によってそれを裏付ける。

小さい頃走って転んだりすると、ヒリヒリする擦り傷ができて、その傷一面に強い匂いの染みる薬を塗ってもらうのが好きだった。遊び終わって沈んでいく太陽を見ながら、顔をしかめて傷口にフーフー息を吹きかけていると、夕方の灰色の景色と自分が許し合っているような安心感を覚えた。ヘロインと粘液で女と溶け合うのとは反対に、痛みによって周囲から際立ち、痛みによって自分が輝くように感じた。そういう輝く自分は沈んでいく美しいオレンジの光とも仲良くできるのだと思った。

現実と確かにつながっていた痛みの記憶は甘美ですらある。現実と共に歩むなら避けて通れない衝動、その処理として痛みを求め、痛みを得る(与える)ことで過去とも現実ともつながっているのだと感じられる。

しかし現実も過去も本当のところはただの事実でそのもの自体に意味があるわけではない。起こったこと起こることに囚われていると認めるのか希望と認めるのかは、自己がどのように意味をつけているかの違いでしかない。

 影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷とともに一瞬目に焼き付いたあの白っぽい起伏と同じものだ。波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
 これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。

鳥の姿をした現実はそこにただあって認め方によって見え方が変わることを知る。

何度破壊と再生を繰り返しても現実は変わらないけれど、現実の認め方を変えるならば自己の希望を融和させることも可能なのかもしれない。庭でまだ香りの残るパイナップルに鳥が降りてくるのを待つ。鳥はきっと、パイナップルを食べてくれるだろう。

章立てはなく、パーティのパート・リリーのパート・鳥とパイナップルのパートを重ねながらその中で破壊と再生のリズムが繰り返される。夜明けの風景は一番と二番の終わりにも読め、同じモチーフの認知を一番と二番で変容させる、歌のような作品。

作品の中でリュウは、見てきたもの見えているもので構成された都市のような映画が作りたいと言い、それは現実の先にある未来において、自己のビジョンを明確にしたいという希望そのものである。福生から五年後、村上龍は総合芸術である映画さながら、装丁やあとがきも含めての「限りなく透明に近いブルー」を作り上げた。また自作を映画化する事にも積極的に取り組んでいく。

巻末に著者が記した生年からバブル期に相当する年譜が付属しており、相当なナルシストかつ時代の寵児感がある。

衝動を中心に描いた作品も多いが、同時に「69」や「KYOKO」など比較的明度の高い作品もある。エッセイ等の楽しみ方とはまた別に、作品と人格は一致しない前提で読んだ方が得られるものは多いかもしれない。

本書の読後感自体は爽やかなものとなっているのであくまでも個人的な受けとめ方の話をすれば、希望を見出したとしても破壊と再生は違う形でこれからも繰り返されるであろうことは同時に予期され、もがいても抜け出せないという不安に苦しく感じさせられた。一冊の本に書いてあることは変わらないのに、不安として認めたということ、これを理解できなくてなぜ苦しいのか探ってみようというのが今回話を分解してみた動機でもある。

エントリーを書き終えるまで我慢していた、他の人の感想や解釈を読むことができるので楽しみが増えた。色々バリエーションがあって面白いのと同時に、作品との距離感、視野や視点の置き方、表現する目的によって、一冊の本が様々な読まれ方をしているのは素晴らしいことだ。わたしも違うタイミングであればまた異なる読み方をするのかもしれない。またよい出会いがあれば丁寧に解きほぐして味わいたいと思った。

今回処理しきれなかったキーワードとモチーフをメモ。

  • 顳顬(こめかみ)、ソウルまたは情報処理の基点?
  • コーヒー、ヨシヤマは望んでも勧められても口にすることがなかった。
  • スタンダール「パルムの僧院」、酔ったリリーが読み、投げ捨てる。
  • マラルメの詩集、転換点で蛾を潰す。
  • 大抵の登場人物は家族や故郷というバックグラウンドを持つが、リリーに関しては終始不明である。装丁、あとがきは鏡のリリーという存在へのリスペクトか。

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)