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タニオカアイ

ウソとホントの間の話

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」

はてな

五年後の自分、過渡期にある(いつだって過渡期だけれど)いまからじゃとても想像がつかない。相変わらずかもしれないし、全然ちがうところにいるかもしれない。

日記のようなものは、続けていけたらいいなと思う。不定期になったり、それこそ年単位で間が開くかもしれないけど、ぽつぽつとでもアウトプットの場があることは、なかなかいいんじゃないかな。

継続がはたして力になるのかはわからないけれど、少なくとも読み返すことができてよかったな、と最近感じた。ついでに年単位でさかのぼって読み返してみたら、何年も前なのに似たようなことで引っかかっていた。

似たようなことを繰り返す。中島らもの小説で、上から見ると同じところをぐるぐる回っているようでも、それは螺旋階段のようにすこしずつ上っていってるんだ、なんてことが書いてあった。あと、時間に幅はなくてそれはバナナの断面のようなもの、積み重ねることでバナナになるけれどその時はわからない、みたいなことがどこかにあった気がする。著者がバリにハマっていた頃の話。

関係ないけどあんなアンタッチャブルな人がテレビや新聞に登場していたんだな。アル中でヤク中で躁鬱のマルチプレイヤー桂枝雀だったか桂文枝だったか(いつも忘れる。剃髪の方)、躁鬱で天才と言われた落語家との対談があって、この組み合わせはすごい面白いんじゃないかと期待して見てみたら、二人とも引き引きでなんとも地味にまとまっていたので意外だった。

話は五年後に戻って(変な言い回し)インプットとして本を読むことはアウトプットと同様に続けているんじゃないかな。視力が低下してしまうこともあるかもしれないけど、そのときは速やかに調整するようにしたい。

インターネットが普及したことで沢山の人が他者の目に触れるものを書くようになって、沢山の言葉があらゆるところで読めるようになったのは、文字を読みたいという強い欲求をなにかと満たしてくれる。今時分はテクノロジーの進化はとんでもなく速いので、追いついていけるかどうかはさておき、そういう世界でツールとしての言葉がどうなっていくのかは興味深いところ。とはいえ革新が目に見えるのはもっともっと先に振り返ったときかもしれない。はてな続いてくれてたらいいな。

いま言えるのは、閉じないことや受けとめてくれる人を大切にすること。素直で謙虚でいられたら、きっと大丈夫。


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